- 2009-10-01 (木)
―「次の事件も、だいたい解決!」
そのアニメが終わってCMが流れ始めると、黒田は画面を見ずに操作してテレビをカーナビに切り替えた。時刻は午後7時を回ったところだが、冬なので日はとっくに沈んでいて、高速を走る車はどれもライトをつけて走っている。暗いブラウンのコートを羽織り、真っ黒のハットを被った黒田は、右手でハンドルを握ったまま左手でシートの脇に置いてあったカバンを手繰り寄せ、中から彼の好物であるツナのおにぎりを取り出し、器用に片手と口でカバーを剥がしてそれを食べた。
「このアニメ知ってるか?中村。探偵やってる主人公の男が過去の時代にタイムスリップして、色々な事件を解決しちゃうんだよ。先週は確か、坂本竜馬を殺した犯人を推理してたっけな」黒田は片手で運転、片手でおにぎり、口では食べるのと喋るのを同時にこなしながら、言った。
「それぐらいならきっと黒田さんにもできますよ」助手席の中村が言った。髪はセミロング。染めた形跡はなく、容姿だけ見れば中村は大人しそうに見える。
おにぎりを食べ終わった黒田は、左手の指についた米粒を舐めとった。時折見せる、その子供のような愛らしい仕草が女性の顧客にはたまらないらしく、浮気調査を申し込みに来た人妻と関係を持つことも、少なくない。というか、そればかりであった。
「確か”E.沢木”っていう人が原作の探偵漫画があって、それが去年からアニメ化になったんだよ。なあ、探偵ブームの予感がしないか?そうなったら俺は一体どれだけモテてしまうんだろうな」黒田が笑いながら言った。
黒田は探偵だ。そして助手席に座っている中村は助手である。本来なら車の運転などという雑務は助手である彼女がするべきなのだろうが、「運転は男がするものだ」という黒田のプライドに基づいて、仕事で車で移動する際にはいつも黒田が運転している。今日は仕事ではなく、休暇を利用した(といっても私立探偵なので、黒田は休みたいときに休みをとる)旅行なのだが、それでもやはりハンドルを握るのは黒田だった。車は徐々にスピードを上げ、普通車線の車を追い越していく。
1週間前、黒田の探偵事務所に一通の封筒が届いた。差出人は不明で、封を切ってみると中から二枚のチケットが出てきた。「やまなか荘無料宿泊券」と書かれたその券を見て、軽薄な黒田も最初は怪しんだ。が、すぐに「きっとあれだ。俺が救ってやったレディのうちの誰かが、俺に感謝して送ってきてくれたんだろ」と解釈し、「ありがとう謎のレディー!」と感謝を捧げた後、「中村、お前も来いよ。なぜかチケット二枚あるぜ」と中村を誘い、その日のうちに準備を始めたのだった。
「そういえば黒田さんって、どうして探偵になったんですか?」しばらくして中村が聞いた。黒田は一旦中村に一瞥をくれた後、視線を前に戻してからこう言った。
「俺は小さい頃から頭の回転だけは速くてさ、例えば男子がいたずらで隠した女子の上履きの在処だとか、親のへそくりの在処だとか、そういうのをピタリと当ててたんだよ。なんだか分かっちゃうんだよな、そいつらの挙動を見てると。それで『自分にはもの探しが向いてる』と幼心に確信してよ」
「それで探偵になったんですね?」
「いや、それは関係ないかもな。ただ単に、たくさんの女性とたくさん交流ができるからだろうな。うん、だからだ」黒田は断定した。
交流ですか、と中村は苦笑した。黒田は助手の中村から見ても、容姿にかけてはひたすら、優れていた。顔は俳優のように、もしくはそれ以上に整っていて、服の選び方もセンスがいい。
黒田は電話で仕事の依頼が来た場合、まず相手が女性かどうかを判断する。そして、そうであるなら、更に声色から性格を判断し、服の好みを想像する。どういう訳か、どんな女性の依頼主が来ても、見事に彼は相手の好みの服装を見にまとって応対し、顔の端麗さも相まって、依頼主はまず黒田に惚れ込む。段取りとして、まず惚れ込むのだ。そうして段々彼女たちは黒田と話すためだけに事務所に来るようになり、浮気調査の以来などはその二の次になる。それが彼の仕事の一連の流れであった。
中村は黒田のバッグから勝手に別のおにぎりを取り出し、それを食べた。もぐもぐと食べながら「じゃあ、仕事をやってきて、辛かったことは?」と聞いた。黒田は「おかしいな、俺は助手を連れてきたつもりなのに。おい、おまえ何新聞の記者だ?」と軽口を叩いた後で、こう答えた。
「素行調査は別に辛くはないんだ。そりゃ何日も尾行するのは体力的には大変だ。だけどそれで心を痛めるような事はない。浮気してる奴なんてのは大抵堂々としていて、見ていて爽快さぐらい感じるよ。写真も盗撮する必要はないぐらいだ。いっそ面と向かってカメラ向けたら、きっとピースさえしてくれるよ。そのくらい彼らは堂々としている」
「そうしたら、何が辛いんです?」中村が口を挟んだ。
「推理事件だな。推理自体は俺にとっては朝飯前だけど、問題はそのあとだ。どの犯人も俺みたいな若造に推理されるのが気に食わないんだろうな、全然自白しないんだ。ああいうのが一番見ていて腹だたしいし、見苦しいな」
「でも、じゃあ、これまでに誤った推理をしたと思ったことは?」おにぎりを食べ終えた頃、中村が手持ち無沙汰にカーステレオをいじりながら言った。
「ないよ。俺の推理はどれも物証に基づいて行っているし、さっきも言ったように、分かっちゃうんだよ」
「分かっちゃうんですか」中村はまた苦笑した。
「そうだ。挙動を見てるだけでな、分かっちゃうんだよ。人を殺したような人間っていうのは、やはり他の人間とは違う空気をまとう。殺したその日、その瞬間からな。まあたんなる勘っていうとそれまでだけど、でもいつだって警察は俺の推理を納得してくれている。俺の話術も多分その理由に入るかもしれない。ここまで来ると推理云々というより、もう信頼だな。『黒田が言うなら、そうなんだろう』ってな」
「それじゃまるで、まるで黒田さんが犯人を決めてるみたいですね」そういって中村は笑った。
高速を降りて国道を走り、そこから北に走ると山に入った。ライトで道を照らしながら山道を登っていく。道路は綺麗に舗装されていたが、走っていると一定の間隔でポイ捨てを警告する看板が照らし出され、そしてその根元には、看板をあざ笑うかのように空き缶や弁当の空き箱が捨てられていた。
「ゴミをポイ捨てする人って、最悪だと思いませんか?」窓から外を眺めながら、中村が正義感をたぎらせて言った。「こんな素敵な山なのに」
「少なくとも最悪ではないな。世の中にはもっと悪い奴らがごまんといるよ。そいつらが幸せそうに笑って暮らしてるほうが、最悪だ」黒田は正面を見据えたまま、言った。
「さあ、着いたぞ」
黒田は車をバックで駐車場に停め、車から降りた。中村もそれに続いて車を降りる。車のドアを開けた途端、雪が降っていることに気づいた。もしかすると今夜は吹雪になるかもしれないな。中村はそう思いながら、黒田に続いてトランクから荷物を取り出した。券で宿泊が無料になるのは一泊だけなので、二人ともそこまで荷物は多くはない。
鼻歌混じりで黒田が担いだボストンバッグを見て、おそらくあのバッグの中には避妊具が、それも複数個入っているのだろうと中村は確信した。黒田はこれまで何度も中村と一夜を共にしようとしたが、その度に中村が断り続けてきたため、結局一度も共にならないないまま今日まで来たのだった。
とはいっても、黒田も軽い気持ちでアタックをかけているため、二人の間では、するしないの掛け合いは儀礼的というか、一種のコミュニケーションの手段となっていたし、黒田は例の“お客様”と頻繁に寝ているようなので、無理やり襲うようなこともなかった。
子供のような、というかそれ以上にはしゃいでいる黒田は、歩きながらいつもの癖でハットを指でくるくると回していた。そして、それを眺めながら3歩ほど遅れて中村がついていく。
山荘はとても立派だった。どこか洋風の趣もあるが、基本的には日本の山荘らしい山荘だ。二週間前に黒田がチケットの真偽を確認した際、ネットで山荘を値段順で検索してみたら、ページをスクロールしてもスクロールしても出てこず、やはり偽物かと思ったところで一番下に「やまなか荘」の名を見つけた時は、黒田は目を疑った。一泊の宿泊代が最低でも2万円とあったのだ。これが無料だなんて、おかしい!そう疑って、よく考えた上での発想が「そうか、これはきっといつかのレディーが!」であった。
「いらっしゃいませ。ようこそ“やまなか荘”へおいで下さいました」応対に当たった山荘の管理人である初老の男性が、玄関で二人に挨拶をした。二人は簡単に自己紹介をしたあと、黒田が財布から2枚のチケット取り出して管理人に渡した。
中村が「やまなか荘のやまなかって、山の中にあるからですか?」と聞くと、津田と名乗った管理人は「いいえ」と否定した後、この山荘の所有者が単に山中という苗字だったという、ただそれだけの理由だと説明し、それから部屋を案内した。
部屋へ向かう途中、ロビーに別の宿泊者と思われる人間をちらほら見かけた。黒田がそれを言うと、津田は「他のお客様も無料宿泊券を手にされた方々ですので、つまり今日は運のいい人たちの集まりですね」と説明した。
ではどうして無料券を配っているのかと黒田が聞くと、津田はこう答えた。
「何度も来てくれる方を増やすためですよ。確かリピーターっていうんでしたっけ。毎年数枚の宿泊券を抽選で配って、一晩泊めてこの山荘の虜(とりこ)にさせて、それから徐々にお金をいっぱい搾り取ろうっていうことですよ。麻薬みたいなものですね。という訳で、末永いお付き合いをお願いします」
そう言ってから「ふっふっふ」とわざとらしく笑った。「津田さんこえーよ」黒田は怯える振りを見せた後で、「でもさ、こんな立派な山荘ならまた来てもいいかもな」と中村に言った。中村は「だったら、例の謎のレディーにお願いしたらどうです?」と言って、笑った。
部屋は2階の端にあった。ベッドはダブルで、建物の外観よりは洋風色が濃くなっていたが、泊まる分にはこのほうが快適かもしれないな、と黒田は思った。これだけ立派な山荘なら、念のために持ってきた避妊具が活躍することも、もしかしたらあるかもしれない。そんなことを考えながら荷物を置き、上着を壁のハンガーにかけ、部屋にあった椅子に帽子を置いた。中村は窓から外を眺めていて、「あーあ、雪、強くなってきましたよ」と言い、カーテンを閉めた。
しばらくすると、津田が部屋にやってきて「お食事の用意ができました」と言った。黒田が部屋から出ようとすると、中村は「ちょっと着替えます。すぐ行きますから、先に行ってて下さい」と言って、黒田を追い出した。部屋を出た黒田は、津田と一緒にダイニングへ向かった。
「食事の用意ができたって、津田さんが作ったのか?お手伝いさんはいないのか?」いつの間にか敬語をやめた黒田がそう聞いた。津田はそんな黒田の態度を嫌がりもせず、笑顔で
「いつもは一人女性の手伝いがいるのですが、今日は娘の結婚式があるということで休みをとっています」と説明し、ただ料理はいつも私が作っているので、レトルトカレーを食べさせるような事はありませんから安心してください、とも付け加えた。
廊下を進めば進むほど雪の勢いは強くなり、ついに外は大荒れの吹雪になった。吹雪らしさでいえば100点満点の大吹雪だ。これじゃ携帯も繋がりそうにないな、と黒田が自分の携帯で電波を確認してみると、案の定電波は届いていなかった。それを見た津田は「大丈夫です。いざとなったら山荘の電話もありますし、吹雪もきっと明日の朝には止みますよ」と言った。
窓からは、無限の雪が地面とほぼ水平に高速で流れていくのが見えた。吹雪のせいでどの窓もガタガタと音を立てていて、その音が響き渡ることがかえって山荘の静けさを強調させていた。
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